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「みな家族」避難手助け 2011年09月20日 写真 バビツカヤ・リヂアさん(左)と長女のマイアちゃん、天野稔さん=十津川村小井、池田良撮影 写真 大きな段差ができた熊野古道・小辺路=野迫川村、村役場提供 ■十津川村民 移住ロシア人母娘に 多くの住民が避難した十津川村に住んで間もないロシア人、バビツカヤ・リヂアさん(35)らは避難場所がわからず、危うく孤立しそうになった。危機を救ったのは、「地域住民みな家族」と話す近隣住民の温かさだった。 リヂアさんは9年前、防衛庁(現防衛省)職員だった舛谷(ますたに)武さん(63)と知り合い、結婚した。京都や愛知などで暮らした後、「田舎で暮らしたい」と希望し、7月下旬、十津川村小井に一人娘の小学1年、マイアちゃん(7)と3人で引っ越してきた。 舛谷さんは中学2年まで村で過ごした後、村外へ。東京の大学を卒業後、防衛庁に入り、定年後に神職の資格を取得。約50年ぶりに帰郷し、今年8月から村の玉置(たま・き)神社の神職になった。 土砂崩れで道が通れない――。4日夕、神社での務めを終えた舛谷さんは約15キロ離れた自宅へ帰ろうとしたが、身動きが取れなくなった。リヂアさんの携帯電話や自宅に電話したがつながらなかった。 リヂアさんとマイアちゃんは土地勘がなく、知り合いもほとんどいない。十津川の水は自宅すぐ下の畑付近まで迫っていたところ、4日夕、近所の天野稔さん(75)が高台に避難するよう呼びに来てくれた。一緒に近くの公民館に避難した後、住民の車に乗り合わせて高台の民家へ。避難者数十人と身を寄せ合って一晩を明かした。 避難者は気を遣って、2人に代わる代わる声を掛けてくれた。「知らない人ばかりだったけど、みんなとても親切だった」とリヂアさん。不安そうだったマイアちゃんも次第に落ち着き、同年代の子どもと楽しそうに話をするようになった。 天野さんはリヂアさんと道で会えば会釈する程度の付き合いだったが、避難する際、真っ先に舛谷さん宅に向かった。「外から来たばかりの外国人の奥さんと子どもが取り残されて心配だった。ここに住めばみな家族ですから」 舛谷さんは5日午後、ようやく自宅に戻り、再会を喜んだ。「転勤で色々な土地で暮らしてきたが、十津川村民の絆の強さは特別。今回の災害で改めて気付かされました」 (寺本大蔵) ■参詣の道寸断 宿の解約も〈小辺路 マツタケ目当てに望み〉 世界遺産の熊野古道・小辺路は十津川、野迫川両村境の伯母子(おばこ)峠付近で崩落や亀裂が見つかり、通行不能になった。野迫川村の北今西地区のホテルや民宿では、キャンセルが相次ぐ。 小辺路は、高野山から熊野本宮大社を結ぶ約67キロの険しい参詣(さんけい)道。最初の難所が標高1200メートルを超す伯母子峠越え。村教委が調べたところ、亀裂や沈下した箇所が多数見つかり、「立ち入り禁止」の標識を出したという。 北今西地区は、土砂ダム決壊の恐れから立ち入りができない北股地区の南側。村役場から北股地区を通って約10キロだが、今は和歌山県境を通る高野龍神スカイラインと林道を経由しなければならない。 地区中心にある村営の温泉・宿泊施設「ホテルのせ川」は収容人員120人。従業員5人にパート3人が働くが、台風の襲来で停電や電話の不通が続き、13日間休業した。14日に営業を再開したが、宿泊客は土砂ダムの調査にあたる国土交通省の職員数人程度だ。 紅葉が見ごろとなる10、11月は個人客に加え、旅行会社企画の「小辺路踏破」のツアー団体客が来るはずだったが、スタッフの津田真理子さん(51)は「こちらから電話でキャンセルした。小辺路を早く直してもらわないと、過疎地域の暮らしは一層厳しくなる」と話す。 一方、民宿「かわらび荘」の中迫静子さん(77)は「10月に入ればマツタケ料理を目当てに来る人が必ずいる。高野山方面からの道路は通れますから」と期待する。 (神野武美) PR |
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