9月15日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
精神的大家族 核家族の風潮というのは、いい悪いは 別にして、天下の大勢です。大きな流れです。けれどもそれは形の上でそうなのであって、精神の上では核家族になってはいけないと思います。あたかも大家族 のごとく、年老いた老人には、家族の人たちが絶えず心を通わせるようにしなければなりません。たとえば、三日に一ペんは電話で声をかけてあげるとか、そう いうつながりがなければいけないと思います。 世の中が進歩したら、それぞれ活動する場所が増えますから、どうしても離れ離れになって、大家族という形はとれません。だから一方でそれを集約する精神的なつながりが一層必要だと思うのです。 筆洗 2013年9月14日筆洗(東京新聞TOKYOWeb) ▼その名曲の誕生は、文字通り事件であったという。ストラビンスキーのバレエ音楽「春の祭典」の初演は、今からちょうど百年前。パリの劇場で、前奏曲が流れ出すと、嘲笑が起きた ▼変調と変拍子が繰り返される前衛的な音楽に、体の変調を訴える人が続出した。次第に怒号が飛び交い始め、ついには警官が駆けつける大騒ぎになった ▼そんな波乱の第一歩を踏み出した「春の祭典」はいま、「地球とは、どんな星なのか」を伝える代表団の一員として宇宙の片隅を旅している ▼ 米国が一九七七年に打ち上げた探査機ボイジャー1号には、金色のレコードが積み込まれた。世界五十五の言語によるあいさつ集には「こんにちは、お元気です か」という日本語も録音された。音楽集には「春の祭典」のほか、モーツァルトの歌劇「魔笛」の「夜の女王のアリア」や日本の尺八曲などが、収められている ▼そんな「地球の使者」ボイジャー1号が、三十六年間の航海の末、ついに太陽系を飛び出したという。現在の地球からの距離は、百八十七億キロ余。電力が尽きる二〇二〇年代まではデータを送信し続け、その後は、地球外生命体に見つけられる日を待ちつつ、無言の旅を続ける ▼いつの日か、金色のレコードに針が落とされる日が来るだろうか。「春の祭典」がどこかの星で大騒ぎを引き起こす。その時を楽しみにしている。 2013年9月15日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル) 天声人語 ▼9月に生まれ、9月に没した正岡子規に一句ある。〈生身魂(いきみたま)七十と申し達者なり〉。生身魂とは、お盆にお年寄りを敬(うやま)いもてなす行事をいう。転じて子規の句のように、ご高齢本人の意味でも使われる ▼明治の昔、70歳は長生きだった。同じ句を今詠めば「九十と申し」ぐらいが実情に合う。いや「百」かもしれない。国内の百歳以上は過去最多を年々塗り替え、この秋は5万4千人を超える ▼超高齢のイメージを覆す活躍も多彩に聞こえてくる。たとえば俳人の金原(きんばら)まさ子さんは、生き方も作品も艶(つや)やかだ。近著『あら、もう102歳』(草思社)で「年をとればとるほど、書くものが自由になっていくように思います」と言う ▼〈わが足のああ堪(た)えがたき美味(びみ)われは蛸(たこ)〉はどこかなまめかしい。〈虹の根で抱き合うよユニクロとランバン〉は映画のシーンを見るようだ。ランバンはパリの老舗の服飾ブランド。どちらが女性で、男性だろう ▼考えてみれば、老いも若きも、今を生きる人は誰もが「自己最高齢」を更新中のお仲間である。あすは敬老の日。きれいごとですむ老いではないけれど、人類史の先端を歩む者どうし、支え合う意思を新たにしたいものだ ▼冒頭に戻れば、生身魂という語にはどこか超俗の響きがある。せんだっての朝日俳壇でも拝見した。〈反戦で毒舌家なり生身魂〉中村誠示。これぞ老いの王道だろう。もう一つは〈生身魂いまも天声人語読む〉中村襄介。背筋を伸ばし頭(こうべ)を垂れて、どうぞお達者でと願う。 PR |
|