9月24日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM) 人に尋ねる 自分の才 能に向くような仕事を自分で考えて進んでいくことか非常に大事だと思う。ところか、自分の才能というものは、自分ではなかなかわからない。そのときには自 分の信頼する人の言葉を聞くとよい。しかし素直な気持で聞かないと、先輩の正しい言葉が正しく自分の耳に入らない。 私も、自分でわから ないことは、素直な心持になって先輩に尋ねることにしている。そして静かに考えていけば、必ず行く道は自然に決まってきて、希望が持てると思う。しかし、 野心とか欲望とかいうものを強く持つと、そこに無理が生じ迷いが起こってくるような気がするのである。 筆洗 2013年9月23日筆洗(東京新聞TOKYOWeb) ▼雑誌「暮しの手帖」の名物編集長だった花森安治さんは「民主主義の<民>は 庶民の民だ/ぼくらの暮しを なによりも第一にする ということだ」と書き残している ▼暮らしと企業の利益がぶつかったら。答えは明快だ。「企業を倒す ということだ/ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら/政府を倒す ということだ/それが ほんとうの<民主主義>だ」(『灯をともす言葉』) ▼来年四月の消費税率引き上げに合わせて実施する経済対策として、政府は法人税に上乗せしている復興特別法人税を一年前倒しして、二〇一三年度末に撤廃する方針だ。所得税への上乗せは残る ▼それだけではない。安倍晋三首相は法人税の実効税率を引き下げる強い意向を示し、経済界も「働く人に恩恵がある」と大歓迎だ ▼消費税を8%に上げた時の景気後退を懸念しデフレ脱却の流れを止めたくないとしても、あからさまな企業優遇策である。与党からも「国民の理解が得られない」と反発の声が出るのは当然だろう ▼ 庶民から集めた税金が企業の経営支援に回る本末転倒が起きてしまう。消費税増収分は社会保障に全額を充て、財政を立て直すはずではなかったのか。一九七八 年に亡くなった花森さんの言葉だ。<なんだい/取り上げたゼニの この使いぶり/いったい ぼくらのゼニを/なんとおもっているのだ> 2013年9月24日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル) 天声人語 ▼だれかの人柄を言いあらわすときに、リベラルという言葉を使う場合がある。あの人はリベラルだ、というように。具体的にどんな人かは必ずしも一様ではない。自由を大切にする人、穏やかで公平な人…… ▼政治の世界でもある種のシンボルとして使われてきた。保守陣営の向こうを張るリベラル勢力の結集を、といった具合だが、その中身についての腑(ふ)に落ちる説明はなかなか聞けない。言葉の意味を定めかねるうち立ち消えになってしまう ▼それが何であるかは言いにくくても、何でないかなら言える場合がある。在日の人々に向けられるヘイトスピーチ(憎悪表現)がリベラルな考えに相反することは明らかだろう。あの敵意と排外主義はおよそ人々の自由の尊重から遠い ▼もう憎しみをあおるのはやめよう。そんなデモがおととい、行われた。「差別撤廃 東京大行進」である。むき出しの民族蔑視に反対する約1200人が新宿の街を歩いた。性的少数者や障害者らへの差別もなくしていこうと訴えた ▼自分とは異質な存在を受け入れ、尊ぶ。寛容こそ、リベラルの核心のひとつだろう。日本は単一民族社会でもなければ一億一心の国でもない。〈我々はもう既に一緒に生きている〉。大行進が掲げたテーマに、その通りだとうなずく ▼思想史家の武田清子さんによれば、リベラルは〈生活感情や心情としても日常生活のふところの深みに育てられていなくてはならない〉。言葉遊びでなく、実践を通じてわがものにしたい。 PR |
|