9月28日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM) 組織や地位にとらわれない 今日、企業界、 名企業の間における競争というものは、非常に激烈なものがある。この激しい競争において、瞬間を争う大事な事柄を報告するいわば非常の場合に、何としても まず直接の上司に言わねばならないんだとか、やはり組織を通じて処理しなければ叱られるんだとか言っていたのでは、競争に負けてしまうようなこともあろ う。 事の順序としては、もちろん直接の上司の人にまず言うべきではあるけれども、どうしても急を要する場合は、組織や他位にとらわれず、即刻処理してゆくことが大切だと思う。 何か事あるときには、企員が打てば響くような素早さで活動しなければいけない。 筆洗 2013年9月27日筆洗(東京新聞TOKYOWeb) ▼筑波大学で都市計画史を教える松原康介さん(40)は、二〇一一年三月十一日を、シリアの首都ダマスカスで迎えた。大震災が起きたことをホテルのテレビで知り、帰国の途についた。シリアで内戦の発火点となる民主化デモが起きたのは、その直後だ ▼松原さんがシリアを訪れていたのは、日本では長く忘れられていた、ある建築家の足跡を掘り起こすためだった。番匠谷堯二(ばんしょうやぎょうじ)さん。一九九八年に六十八歳で逝去したこの建築家こそは、ダマスカスをはじめとした中東各地の都市計画を担った人物である ▼十五歳で終戦を迎えた番匠谷さんは、日本が戦禍からの復興の熱に満ちていた時代に建築の道に入った。若くして建築界の巨匠ル・コルビュジエにその才能を認められて渡仏し、都市計画の専門家として活躍するようになる ▼「彼の人生には戦争がつきまとっていた」と、松原さんは言う。六〇年代にはレバノンの首都ベイルートの都市整備に力を尽くしたが、街は内戦で破壊された。都市基本計画を描いたダマスカスもアレッポもシリア内戦で荒れ果ててしまった ▼だが、無に帰した訳ではない。松原さんは今、東北の被災地の復興計画に携わりつつ、シリアを再訪する日を待っている ▼「いつの日になるか、何から手を付けていいかも分からないが、大震災の復興の経験を、シリアで生かす日がきっと来るはずです」 013年9月28日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル) 天声人語 ▼横山秀夫さんの粒ぞろいの作品のなかでも、短編「動機」はひときわ光る。警察手帳の大量紛失という事件の顛末(てんまつ)を描く。引き締まった筋立てに厚みを与えているのが、主人公とその父との関係だ ▼親子2代の警察官。母の死を機に父の心は壊れた。いまは言葉も表情も失い、「土塊(つちくれ)」のようになって閉鎖病棟にいる。息子が会いに行くと、父は看護師に声を発する。「やっ」。彼女は「そうですよね、嬉(うれ)しいですよねえ」と父に返す ▼この面会を父が喜んでいるという「意訳」に、息子は戸惑う。看護師にわかることが、めったに来ない息子には理解できない。心を病んだお年寄りに寄り添うことの難しさやつらさが、読者の胸に迫る。それが現実の世界で、まして在宅でとなれば、家族の苦労は筆紙に尽くせまい ▼先月、介護にかかわる厳しい判決が出た。認知症の91歳の男性が徘徊(はいかい)し、線路内で列車にはねられ亡くなった。この事故でダイヤが乱れ、JRに損が出た。裁判所は男性を世話していた妻らに責任があるとし、720万円を払えと命じた ▼きのうの本紙東京本社版などの生活面が報じている。男性が外に出たのは、妻らが目を離したわずかな間だった。見守りを怠った、と判決はいう。しかし、人間だれしも一瞬の隙はある。負わされる責任が重すぎないか ▼「動機」の幕切れ、「やっ」は嬉しいという意味だと話す主人公に、妻は「そんなの、ずっと前から」知っていたと答える。小説のなかでは救いが訪れるのだが。 PR |
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