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今日のコラム

10月3日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

千差万別の人間

 人間は千差万別の姿と心に生まれついています。従ってそれぞれの持つ使命も天分も、全部異なっているのではないかと考えられます。

  しかし現実の社会では、すべてを一つの型にはめよう、規制しよう、同じ道を歩ませようとするきらいが多分にあるように思われます。もちろんこうした考え方 は、一面においては必要なのですが、世の中を全部そういう考え方、ものの見方で通そうとすることは、決して社会の進歩にはつながらないでしょう。

 ですから、人間がそれぞれに持っている特性というものをよく認識し、その特性を生かしていける共同生活を考え出さなければならないと思うのです。



2013年10月2日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)
 
筆洗

▼毛利重就は、長州藩の中興の祖とされる。彼が断行した改革によって、長州は明治維新で躍動する礎を得た

▼ その改革の一は、検地だった。土地の面積や生産高などを調査し直して、新たな徴税額を決める検地の必要性は、こう説かれたという。「(天災などで)田畠も 状態が変化している…これは決して藩主の利益のためではなく、困窮農民の撫育(ぶいく)(救済)を意図している」(小川國治著『毛利重就』)

▼いくら大義を掲げても、実態は増税だ。重就は不満を封殺して断行する一方、検地で得た四万石余の新たな歳入は今で言う特別会計にして、一般会計の穴埋めには使うなと厳しい掟(おきて)を定めたという

▼天災の荒廃にあえぐ民がいて、莫大(ばくだい)な借金を背負う政府がある。今と似通った時代を生きた故郷の名君にあやかろうというのだろう。安倍首相はきのう、重就の功績を誇らしげに紹介しつつ、消費増税を正式に表明した

▼だが、問題は賃金という田畠の荒れようだ。十年以上も賃金が下がり続けているのは、先進国で日本だけという。非正規雇用の平均年収にいたっては、正社員より三百万円少ない百六十八万円と、格差は鮮明だ

▼やはり長州で、幕末に藩政改革を担った村田清風は<治まれる世は富士山の姿かな>と詠んだ。消費増税がますます裾野ばかりを削り取る結果になっては、長州の先人も眉をひそめるだろう。



2013年10月3日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル)

天声人語

▼一線を退いても、有名政治家の発言はなにかと思惑がらみで受け取られがちだ。首相経験者ともなれば、いろいろ詮索(せんさく)されるのは仕方がない。しかし、今回はまず、その中身にきちんと耳を傾けてみたい

▼小泉純一郎元首相の「原発ゼロ」発言である。1日の名古屋での講演でも訴えた。将来のゼロはいいが今はだめだという議論に対し、「早く方針を出した方が企業も国民もゼロに向かって準備もできる、努力もできる、研究もできる」と

▼首相時代はきれいで安いエネルギーだと信じていたが、東日本大震災で疑問を抱いたという。確かに直後の11年5月には、原発の安全性を信じたのは「過ち」だったと語っている。確信を深めたのは、この8月のフィンランド視察だったようだ

▼「オンカロ」という施設を見た。原発ゴミの高レベル放射性廃棄物を地下に埋めて最終処分する場だ。「トイレなきマンション」にトイレができるか、世界初の試みである。しかし、ここに埋めても放射能がほぼ消えるまで10万年かかる

▼施設がそれだけの長期間もつのか。そもそも数万年後に人類はどうなっているのか。今と同じ言葉や文字を使っている保証はなにもない。彼らに危険物だということをどう伝えるのか。ほとんどSFの世界の話である。小泉氏は考え込んだだろう

▼講演では経済界の原発推進論に反論した。「ゼロは無責任というが、処分場のあてもないのに進める方がよほど無責任だ」。筋が通っている。正気に返るべきなのだ。
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【2013/10/03 05:47 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0)
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