10月4日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM) 心を磨く 人間の心というものは、ほんとう に自由自在なものだと思います。何か困難な問題が起こったとしても、心の働きによっていかようにでも考えられると思うのです。もう辛抱できない、あしたに でも自殺したいという場合でも、考え方を変えるならば、一転して、あたかもひろびろとした大海をゆくがごとき悠々とした心境に転回することさえできるので す。それが人間の心の働きというものでしょう。 ですからわれわれは、これから仕事をするに当たって、まず心を磨くというか、ものの考え方を成長させる必要があります。そういう心の働きに、今まで得た知識を加えてやっていけば、必ず大きな成果が生まれると思います。 2013年10月3日筆洗(東京新聞TOKYOWeb) 筆洗 ▼犬も歩けば棒に当たる。江戸いろはカルタの「い」でおなじみだが、江戸の昔は歩きも歩いたり、遠方から伊勢参りを果たし、大金を授けられた犬がいたそうだ ▼おとぎ話のようだが、実話というから驚きだ。元毎日映画社社長の仁科邦男さんの労作『犬の伊勢参り』(平凡社新書)によると、その珍事は、明和六年(一七六九年)の式年遷宮に触発され始まったおかげ参りの最中に起きた ▼上方から来たという犬が外宮の手水(ちょうず)場で水を飲み、宮前で平伏した。犬は不浄として出入りを禁じられているが、宮人がその姿に感じ入り、首に御祓(おはらい)をくくりつけてやると、内宮にもお参りしたそうだ ▼この犬だけではない。伊勢参りの犬を記録する宿場間の引き継ぎ書が、かなり残されている。文書には道中で授けられた銭の額まで記され、それが増え続け、犬の首に付けられぬほどの大金になったという ▼今は犬が勝手に歩くのもままならぬが、江戸の犬は、自由だった。そして犬は実に人の気持ちに敏感だ。伊勢へという人々の思いと流れに乗った犬が「お参りの犬」と大切に扱われるうちに、ついに参拝を果たしたのではないかと仁科さんはみる ▼きのうは内宮の遷御の儀、五日は外宮の遷御。式年遷宮をことほぐ参拝の列に、さすがに犬の姿は見えぬだろうが、かつて犬までを伊勢に導いた信仰の熱は今も昔も変わらない。 2013年10月4日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル) 天声人語 ▼スピーチをするときは原稿をつくり、極力覚えてから会に臨む。作家の故丸谷才一さんの流儀だった。失言を防ぐためでもあるが、なにより集った人々とともに「一夕(いっせき)の歓(かん)を盡(つく)す」ことを大切にしたのだ ▼ スピーチを文学にしたと評された。その作品を収録した『合本(がっぽん) 挨拶(あいさつ)はたいへんだ』に、「十四番目に」という小品がある。ある文学 賞を受けて謝辞を述べるのだが、丸谷さんの前に13人も話す。聴衆はへとへとだろうからと、うんと短くした。文庫版で6行。これも原稿をつくった ▼人前で話すということに関心が集まっている。五輪招致の時のプレゼンは今も話題だ。自己表現の力が試される時代である。季刊誌「考える人」の最新号は「人を動かすスピーチ」の特集。ネット全盛の時代だからこそ血の通った言葉が求められている。そんな着眼という ▼チャーチル、ケネディの歴史的演説からスーパーの社長の朝礼まで題材は幅広い。日本の「生ぬるいスピーチ文化」を特集は憂う。往々、長くて退屈なあいさつがまかり通る。「とりわけ政治の言葉をもっと磨いてほしい」と河野通和(みちかず)編集長 ▼確かに名演説というものを久しく聴かない。公式の場では官僚の作文を棒読みする。内輪の会合では気が緩み放言する。外交史家の細谷雄一さんが特集の中で鋭く指摘している。失言の多い政治家とは知性の足りない人なのだ、と ▼丸谷さんは常に精魂込めてスピーチをした。作家の知性には及びもつかないが、その姿勢は学びたい。 ※朝日新聞休刊日は更新されません 「朝日新聞デジタル」をおトクにご利用いただけるのはOCN会員だけ! PR |
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