10月15日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
紙一枚の差 社会に対する責任ということを同じように考えてやっていても、その徹し方には差がある。一方は「これで十分だ」と考えるが、もう一方は「まだ足りないかもしれない」と考える。 そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む。もう十分だと考えると、苦情があっても「ああ言うが、うちも十分やっているのだから」ということになって、つい反論する。けれどもまた足りないと思えば、そうした苦情に対しても敏感に受け入れ、対処していくということになる。 そういうことが、商品、技術、販売の上に、さらに経営全般に行なわれれば、年月を重ねるにつれて立派な業績を上げることになるわけである。 筆洗 2013年10月14日筆洗(東京新聞TOKYOWeb) ▼部屋の中のゾウ」。こんな英語の表現がある。ゾウが部屋の中にいる。狭い部屋にゾウが窮屈そうに立っている光景はユーモラスだが、その意味は怖い ▼巨大なゾウが部屋にいれば中の人間はゾウの存在をいやでも知る。ゾウの存在を知りながら気づかないフリをしている状態を「エレファント・イン・ザ・ルーム」というのだそうだ ▼いつ暴れだすかもしれないゾウが部屋の中にいるのは危険な状態だ。なんとかしなければならないが、どうやってゾウを部屋の外へ追い出せばいいのかが分からない。解決方法のない恐怖を打ち消すため、「危機ではない」とゾウを見なかったことにする心理。分からなくもない ▼米国の債務上限問題の期限が十七日に迫る。この日までに与野党で話をつけて、政府の債務上限を引き上げなければ、米国債は債務不履行(デフォルト)に陥る可能性がある。世界最大の経済大国のデフォルトは世界経済全体にリーマン・ショックをはるかに超える大混乱を引き起こす危険がある ▼「結局、政治決着するさ」「デフォルトなんて起こらない」。落ち着いた声も聞く。こちらの取り越し苦労ならば結構だが、こうした声がゾウを見ないフリをしているだけの楽観論でないことを祈る ▼東京で十三日、大規模な脱原発集会があった。参加者には別の危険なゾウがはっきりと見えているのだろう。 PR |
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