10月26日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM) 良品を世に送る努力 どんなによい製品をつくっても、それを世の人びとに知ってもらわなければ意味がありません。つくった良品をより早く社会にお知らせし、人びとの生活に役立ててもらうという意味で、宣伝広告というものは、欠くべからざるものと言えるでしょう。 しかし、その一方で、そういった宣伝がなくても、良い評判を受け、大いに信用をかち得ている製品があります。これは、良品はみずから声を放たず、これを求めた人びとによって広く社会に伝えられたということに他なりません。そういう宣伝に頼る必要のない、ほんとうにすぐれた品質の製品を生み出し、世に送る努力を常に忘れてはならないと思うのです。 筆洗 2013年10月25日(東京新聞TOKYOWeb) ▼しゃっくりは何かの役に立っているのか? 魚もおならをするのか? 英科学誌ニュー・サイエンティストの名物は、読者からの素朴で時に奇抜な質問に答えるQ&Aコーナーだ ▼そのやりとりをまとめた『つかぬことをうかがいますが…』(早川書房)から一つ紹介すると…「息を吸いこんだり、ひと口水を飲んだりするたびに、レオナルド・ダビンチが吸ったり飲んだりした原子がいくらか体内に入るというのは本当でしょうか?」 ▼回答は…地球の大気にある分子の数とダビンチが生涯に排出した分子の数を推計していくと、私たちは呼吸するたびに、彼が吐いた分子を大量に吸っていて、彼の末期の息の分子すらおよそ五個は吸っているはずだという ▼にわかには信じがたいが、世紀の大天才の体を通った分子が今もこの身にも入ってきていると考えれば、愉快だ。が、ということは、ヒトラーが吐いた分子も彼に抹殺された何百万ものユダヤ人たちのそれも、私たちは吸ったり飲んだりしていることになる ▼突拍子もない想像に思えるが、地球のめぐりとは、そういうものなのだろう。内戦で昨日までの隣人と殺し合う人々も、隣人に差別も露(あら)わな言葉を吐く人たちも、結局は憎む相手と空気や水は共有しなくてはならない ▼憎悪の応酬やまぬ世を解きほぐす力は、ちょっとした想像の中に潜んでいるかもしれない。 PR |
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